II: iv, 192 p. Condorcet, Marie Jean Antoine Marquis de: Essai sur l’application de l’analyse à la probabilité des décisions rendues à la pluralité des voix. Speeches of professor Fawcett, M. P., and Sir Thomas Bazley, M. P., on the adjourned debate, on Wednesday, July 30, 1873. From the national association, London. 3 vols. To which is added, a short, but most excellent treatise of interest. William Pare, Esq., F.S.S. Smith, J. (catalogue-placard N-7) von Ferdinand Lassalle. Un recht schreken. Playfair, W. (27)高橋彦博「労働雑誌『人と人』の廃刊-戦間期日本における労働政治の試行-」『社会労働研究』第45巻第4号、1999年3月。, 第一次世界大戦後の労働運動の昂揚を受け、労使協調を目的として1919年に設立された協調会は、社会政策・社会運動の調査研究、社会政策推進、労働争議の仲裁・和解など多岐にわたって活動し、膨大な調査研究資料を残した。中央労働学園を経て法政大学大原社会問題研究所に引き継がれたそれら資料は、内務省資料と比較してもより詳細な調査・分析に及んでおり、大正から昭和初期の社会労働運動の動向を知るには不可欠の一次資料である。今回のマイクロフィルム化にあたっては、的確な解題、収録リスト一覧、検索用デジタルデータを付し、研究の便宜に極力配慮した。, ■協調会の組織・歴史が把握できる稀覯史料を収録した(『協調会誌(稿本)』、協調会機関誌『協調』全号)。 (French), _______ : To Max Hirsch. With a large appendix; containing a comparative and chronological table of the prices of labour, of provisions, and of other commodities; an acount of the poor in Scotland; and many original documents of subjects of national importance. (14)島田昌和「一九二〇年代後半における協調会の活動-争議調停活動の検討-」『経営論集』(明治大学経営学研究所)第36巻2号、1989年2月。 (catalogue-placard D-4) Tom. I. London, W. Miller, 1808. viii, clxxx, 141 p. 1 portrait. By R. Torrens, Esq. Herausgegeben von Johann Peter Süßmilch, Prediger bey dem hochlöblichen Klacksteinischen Regiment. Revue, corrigée et augumentée d’une polémique entre M. Michel Chevalier et l’auteur, ainsi que d’un appendice indiquant ce qui pourrait être tenté dès à présent. VII: 379 p. Tom. Vaughan Lexis, W.  15)神戸騒擾事件(共同耕作,訊問調書4冊,2ファイル,1927年) Edmund Burke. Sohn. Theorie. Druck von Marquardt & Steinthal. Tours, A. Mame, 1874. Professor in Freiburg i. Lettres de candidats. Paris, Imprimerie d’Éverat, n.d.75p. Nante als National-Versammmelter. Tom. Von A. C. S. Berlin, R. F. Daubitz, 1872. このレイバー・ノートは、そこで用いられた「10時間労働紙幣」である。, ロバート・オウエン A. St. John, Esq. London, Ward & Co., 1840. (1)『財団法人・協調会誌』(稿本)協調会解散事務所編、1948年。 LL.D. Carpenter, W. Druch von Marquardt u. Steinthal. 71473 1126878577.dat 【野球】巨人・渡辺恒雄会長、堀内続投は眼中ナシ? III. Broglie, A. C. L. V. duc de パペーテ都市26017人のパペーテ適切なのコミュー ンに住んでいた2007年8月の国勢調査では131695人の総人口が[3]。 は、現在パペーテ、最初にイギリスの宣教師ウィリアム クルックは、ロンドン宣教協会によって1818年に定住した構成エリア[1]。 (Arnold Ruge,1802-1880) Ick nich! Wetherell Cooper, T. London, J. Watson, 1851. I: lxxx, 592 p. Tom. Berlin, 24 Nov. 1892. Bretschneider, K. G. Paris, G. Sandré, 1848. C. P. Villiers, M. P., on submitting his resolutions respecting the abolition of the corn laws, in the House of Commons, Tuesday, June 25th, 1844. Hodge, R. London, E. Wilson, 1858. xxxviii, 358 p. _______ : Report of the proceedings of the congress of the advanced minds of the world, from the 12th to the 25th of May, 1857. By Josiah Tucker, D.D. By Dr. Buchanan, of Louisville. Paris, Bureau de l’Orgsnisateur, 1830. xl, 327 p. _______ : Doctrine de Saint-Simon. Leipzig, Volksstaat, 1870. Sitzung der zweiten Kammer. (Franz Mehring,1846~1919)  (2) 高野房太郎(岩三郎の兄で労働組合期成会の創立者の一人)  AFL会長ゴンパースより房太郎宛ての書簡,房太郎より岩三郎宛ての書簡,日記1冊,片山潜より高野母堂宛ての書簡,高野家要用簿がある。 Düsseldorf, Schaub’sche Buchhandlung, n.d. [1863] 38 S. _______ : Macht und Recht. 1846. Préface et notes par A. Ranc. Rede auf dem dritten Congreß deutscher Volkswirthe, zu Köln am 13, September 1860. Karbe hat es uns jeschworen. Gesendet von Eusebius Volkmann. London, L. Curtis, 1670. I: 480 p. Tom. : 1816. lxxxii, 504 S. 2. 論文をいただき心から感謝しております。まえからわたくしは存じてはおりましたけれども、あなたがわたくしのことを覚えていてくださったことがわかって、うれしく思いました。いまベルリンでは、わたくしたちのあわれな『鐘』を圧迫するヴェストファーレン大臣の命令がくだされました。それはいま売行きがのびているのですが。わたくしがあなたにお会いしたあとで、わたくしたちは、ロシアのスパイをみつけ、追いかけて、すっぱぬいてやりました。それはオーストリア系のポーランド人です。   敬具, 大原社研にはさらに故パウル・エルツバッハー教授が収集したアナーキズム文庫がある。この文庫は単に狭義のアナーキズム文献を内容とするだけではなく、アナーキズム前史、批判史、運動史を全系譜的に包括する。それはそれ自体アナーキズムの文献史というべきである。しかし、これについては、すでに戦前の『大原社会問題研究所雑誌』にカタログが刊行されているので、内容的な紹介ははぶく。この文庫については、現在わたくしが整理をすすめているのであるが、その現状は旧カタログに所収されているものと内容的にかなりの変化を示している。紛失しているものもかなりあるし、その反面カタログには未収のものもいくつかある。, そこには未利用の第一次資料が多数ふくまれでいるので、将来機会をあらためて、その全貌を紹介しなければならない。, 以上、わたくしは大原社研に所蔵されたヨーロッパ関係文献の現状を羅列的に、しかも部分的に述べた。将来整理が完成されたのちに、個々の専門家の手によって、未発掘の文献があらたな校証の照明にさらされることを期待しながら。, (追記)久留間教授のご教示にしたがって、二、三の重要文献を追加しておこう。まず、Some thoughts on the interest of money in general and paticularly in the public funds etc. ________ : La théorie de l’économie politique, fondée sur les faits résultans des statistiques de la France et de l’Angleterre; sur l’expérience de tous les peuples célèbres par leurs richesses; et sur les lumières de la raison. L’amélioration du sort des ouvriers. Berlin, Brandes u. Schultz, 10. [Die] Revolution in Frankfurt a. M. Neueste Nachricht! Tom. _______ : Der deutsche Bauernkrieg. 2.éd. 製品仕様 Dritte Sitzung. By William Playfair, author of notes and continuation of An inquiry into the nature and causes of the wealth of nations, by Adam Smith, LL. IX: 1834. xv, 475 p. Tom. 『ドイツ国民に告ぐ』 1808年刊, ドイツ古典哲学の代表者のひとりで、後にベルリン大学の初代総長に公選されたフィヒテは、ナポレオン軍隊の占領下においてドイツの再建を説いた愛国的な連続講演を14回おこなったが、本書はその講演の直後に一般に配布された印刷物の初版本。, メアリ・ウルストンクラフト (Mary Wollstonecraft,1759~1797) A vindication of the right of woman : with strictures on political and moral subjects 『女性の権利の擁護』 1792年,第3版1796年刊, ジョルジュ・サンド宛献呈の辞 イギリスの女流社会思想家。ウイリアム・ゴドウインの妻。本書は、男女の権利の平等と女子教育の必要性を主張したもので、女権論の古典として高く評価されている。本書にはジョルジュ・サンドあての献呈の辞がある。研究所には同じ著者の北欧滞在時の書簡集もある。, トーマス・スペンス 2 parts. Mayr, G. Soltmann, A. V: 1834. viii, 480 p. Tom. (In; Jahres-Berichte für das Jahr 1874.). (catalogue-placard H-1) Wenn nu unser König so wollte, wie wir! Vol I: xxx, 677 p. Vol. Meine Idee für die Verfassung Preußens und Deutschlands. II: iv, 528 p. _______ : A letter to Samuel Whitbread, Esq. Published in Switzerland, 1795. By Josiah Tucker, M. A. Rector St. Stephen’s in Bristol, and chaplain to the Right Reverned the Lord Bishop of Bristol. Dargestellt von einem Handarbeiter. Lloyd, J. (German), Schönberg, G.:To Freundin [über Lassalle]. メニュー トップページ 文系学問 文系学問並べ替え 江戸時代の寺子屋で教科書として広く使われていたさまざまな教訓を書き記した室鳩巣の著書は何? Guest, 1839. vi, 216 p. _______ : Government and society considered in relation to first principles. August, E. Sein Leben, sein Wirken. Neu aus dem Italiänischen übersetzt.   Joliot-Curie, Frederic, “Cinq années de lutte pour la paix” [1954] London, Longman, Rees, Orme, Brown Green, & Longman, 1834. xi, 133 p. [Townsend, Joseph] Free thoughts on despotic and free governments, as connected with the happiness of the governor and the governed. 460 p. Tom. 4. ed. Paris, E. Plon, 1874. xlviii, 520 p. 1 plate. [Von] colporteur. Vansittart, N. Ein Aufruf an die Berliner. London, T. Trye, 1753. Amsterdam, 1749. xviii, 533 p. _______ : Oeuvres complètes de Montesquieu. 180 p. ________ : Les conspirateurs. 15 p. (In; Popular tracts. W. Huskisson in the House of Commons, Thursday, the 23d of February, 1826, on Mr. Ellice’s motion for a select committee, to inquire into and examine the statements contained in the various petitions from persons engaged in the silk manufacture. Bekanntmachung. Adresse der Perliner Tänzerinnen an das Staats-Ministerium. 58 S. Hodge, Ralph: A letter from Ralph Hodge to his cousin Thomas Bull. Ene Epistel an die Korinthen, von Aujust Buddelmeyer, Dages-Schriftsteller mit’n jroßen Bart. Blondeau, 1845. xii, 438 p. 5 plates.  マチアス号は、日清戦争に際し、アメリカの権益を守るために極東に派遣された砲艦で、1894年秋ニューヨークを出航し、大西洋、インド洋を経由して、朝鮮半島や中国周辺で任務につきました。房太郎は、この勤務中に「日清戦争と日本の労働問題」「上海の中国人縫製労働者のストライキ」などの通信を『アメリカン・フェデレイショニスト』誌に寄稿しています。戦争が終わった1896年6月、マチアス号が横浜港に立ち寄った時、高野は未払い給料32ドル36セントを残して脱艦しています。, 1891(明治24)年夏、高野房太郎は、同じサンフランシスコで働いていた友人の靴工・城常太郎、洋服職人・沢田半之助らと、日本の労働組合運動の源流となる〈職工義友会〉を組織しました。職工義友会は、労働組合運動についての研究会であると同時に、白人の靴工に迫害されていた日本人靴工による〈加州日本人靴工同盟会〉の母体ともなりました。, 高野房太郎は、8年間のアメリカ滞在中、正規の学校教育はほとんど受けませんでした。その唯一の例外が1891(明治24)年1月から1年間通ったサンフランシスコ市立商業学校の別科(Limited Course)でした。職工義友会を創立したのは、この学校に在学中の91年夏のことです。, 1891(明治24)年夏、房太郎(中央)は、城常太郎(左)、沢田半之助(右)らと職工義友会を結成しました。上は、その職工義友会創立時にサンフランシスコで撮影された記念写真です。この3人が、1897(明治30)年春に東京で職工義友会を再建し、労働組合期成会を結成する原動力となったのです。, 1900(明治33)年11月1日、神戸で撮影 左は城常太郎(靴工)、中央は高野房太郎。右は靴工の平野永太郎?。, 房太郎はまた、アメリカ労働総同盟(AFL)会長のサミュエル・ゴンパーズをニューヨークに訪ね、労働運動について教えを乞いました。ゴンパーズは、房太郎の熱意と彼の労働運動に関する知識に感銘を受け、彼をAFLのオルグに任命しました。次は房太郎が、労働運動の際に使った名刺ですが、肩書きにはAFLのオルグであることを示す、北米職工同盟団代表員と記されています。 彼はまた、ニューヨーク滞在中、アメリカの労働運動に関するさまざまな資料を集め、帰国後に備えました。, 葉巻工出身の労働運動家。1886年のアメリカ労働総同盟の創立とともにその会長に就任し、死去するまで1期を除き37期・37年間、その地位にあった人物です。 325 p. _______ : do. 1821. xxx, 594 S. 4. : 1854. vi, 154 S. [The] Whigs unmasked; or, an address to the people of Great Britain, on the two letters of Earl Fitzwillia.m, to the Earl of Carlisle, lately published, on the dismissal of the former from his situation, as Lord Lieutenant of Ireland. Paris, Librairie du commerce, 1835. viii, 192 p. Bamberg, F. S.: Geschichte der Februar-Revolution und des ersten Jahres der französischen Republik von 1848. 2.  5.〈社会・文化〉欄は、(1)労働者の生活実態(2)物価動向など国民の生活実態(3)社会福祉事業(4)学術・文学・芸術作品など(5)教育問題(6)宗教問題(7)自然災害(8)労働災害(9)職業病・疾病(10)公害問題(11)地方自治(12)社会運動家などの死去(13)世相・風俗(14)他の欄に分類困難な項目. XXXIX: 1838. 8 S. (catalogue-placard S-1) (Rosa Luxemburg,1871~1919)  日本の労働運動・社会運動は欧米にくらべれば短いとはいえ、すでに自由民権運動から数えれば100余年、日本最初の近代的労働組合といわれる鉄工組合の創立90周年は1年後にせまっている.今日の日本の労働組合、あるいはその前身となる組織の多くが生まれたのは、第2次世界大戦直後の1946年であるから、今年40歳の誕生日を祝った組合は少なくないであろう.だが日本の労働組合は、はたして〈不惑〉の年を迎えたといえるであろうか. 16 p. (In; Popular tracts. Rutenberg, Saegert London, J. Ridgway, 1831. 「高峰譲吉は、1854年、現在の高岡市で生まれた。翌年、父が加賀藩主前田斉康の御典医となったため、金沢市の堤町に移り、そこで育った。譲吉は、11歳の夏、藩からの派遣という形で長崎に留学した。 Wien のサインと Arbeiter Buchhandlung 購入 Schilling 120とも書かれている。宇野弘蔵の捺印が押されていることから,高野岩三郎氏が購入し,のちに宇野弘蔵氏に贈呈したのではないかと推察される。, 戦後の大原社研の活動の中心は労働問題に移行し、経済学の古典文献の収集は戦前のものが中心である。しかし、マルクス以前の経済学の古典を中心に良いものが残されている。1981年には特別の予算をとって17世紀から19世紀を中心とする経済学の古典を購入したが、この中には重商主義、重農主義、古典派経済学などの貴重書が含まれていた。, 重商主義関連では、ダヴェナント(Charles Davenant, 1656~1714年)の『戦費調達論』の初版(1695年)、チャイルド(Josiah Child, 1630~1699年)の『新交易論』第4版、バーボン(Nicholas Barbon, 1640(37?)~1698年)の『貨幣軽鋳論』初版(1696年)など、自由貿易論の先駆者達の著作がある。, 重農主義の著作では、ケネー(François Quesnay, 1694~1774年)の全集、その弟子ヴィクトール・リケッティ・ド・ミラボー(大ミラボー)(Victor Riquetti de Mirabeau, 1715~1789年)の主著『人間の友』(1758~60年)、その次男でフランス革命期の立憲君主制論者オノーレ・ミラボー(Honoré-Gariel Victor Riquetti Comte de Mirabeau, 1749~1791年)の書簡集、ケネーの友人で弟子でもあり、財務総監テュルゴーの補佐役でもあったデュポン・ド・ヌムール(Pierre Samuel du Pont de Nemours, 1739~1817年)の財務問題についての報告書を所蔵している。, 古典派については、部数は少ないが貴重な著書が含まれている。スミス(Adam Smith, 1723~1790年)の『国富論』の初版(1776年)及び第2版、『道徳情操論』1790年版、マンデヴィル(Bernard de Mandeville, 1670~1733年)『蜂の寓話』(1733年版)、マルサス(Thomas Robert Malthus, 1766~1834年)『人口論』初版(1798年)、『穀物法及び穀物価格騰落の我国農業及び一般的富に及ぼす諸効果に関する諸考察』第3版(1815年)、リカードウ(David Ricardo, 1772~1823年)『ビュイヨン会議報告に対するボーザンケット氏の所見への回答』(1811年)や『経済学及び課税の原理』第3版(1821年)、ジェームズ・ミル(James Mill, 1773~1836年)の『英領インド史』初版(1817年)、その子のジョン・ステュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806~1873年)の『自由論』初版(1859年)、『経済学原理』1871年版等である。, 研究所の戦時中の業績である『統計学古典選集』の原本も貴重書が多い。稀覯書中の稀覯書で、世界に3冊とないといわれるジュースミルヒ(Johann Peter Süßmilch, 1707~1767年)『神の秩序』初版(1741年)(他に第2版も所蔵しており、向坂文庫には第3版がある)、グラント(John Graunt, 1620~1674年)『死亡表に関する自然的及び政治的諸考察』第4刷(1665年)(他に1676年の第5版も所蔵している)、ペティ(William Petty, 1623~1687年)『政治算術五論』初版(1687年)などである。, 近代経済学については比較的手薄である。英国における19~20世紀の社会福祉、医療、社会政策の歴史から古典派の主要人物の著作を復刻したデヴィッド・グラッドストン編『エドウィン・チャドウィック:19世紀の社会改革』(1997年)がある。, またこれらの著作のうち、ジュースミルヒ『神の秩序』は高野岩三郎と森戸辰男が、グラント『死亡表』は久留間鮫造が、ペティ『政治算術』は大内兵衛が翻訳をしており、大原社会問題研究所が日本におけるこの分野の研究発展に大きく貢献してきたこと示している。, ※なお、4.「特色ある図書」の(5)経済学関係洋書については、伊東林蔵兼任研究員が加筆修正した(2019年11月)。, 戦後,ある時期まで,大原研究所は,プロレタリア文学の隠れた宝庫といわれた。研究所の図書・資料分類では日本文学(720)とは別にプロレタリア文学(710)の項目を立てているほどである。(現在和書330冊余がここにある。)そのようなこともあって,1956年,いちはやくプロレタリア文学関係の目録が作成された。『法政大学大原社会問題研究所プロレタリア文学関係所蔵文献目録』である。単行本のみ,276冊を発行順にならべた目録であるが,それは,『法政大学文学部紀要』(No2「日本文学篇」1956年3月)に,さきに公表され,ついで,大原研究所の『資料室報」(第91,93,94号,1963年9~12月)に掲載された。, そのとき,このコレクションの貴重さについて,目録作成に協力を惜しまなかった法政大学文学部の小田切秀雄氏が,こういっている。, 「第一に昭和初年のプロレタリア文学運動関係の作品・評論・翻訳がかなり豊富にあること,とくに,これを集めたひとがプロレタリア文学に対して網羅的であろうとしたためか,ナップ(全日本無産者芸術団体協議会)系だけでなく,文戦系(労農芸術家連盟)の作品も多く集めていること」,「昭和初年のプロレタリア文学だけでなく,明治中期からの人民的・革命的な文学の流れに属するものが,戦前としてはよく集められていること,この点でまったく類の少ないコレクションになっている」(『資料室報』第91号,1963年9月)と。, このように,それは“宝庫”と呼ばれても過褒ではなかったのである。たとえば,そのなかから,平沢紫魂の『創作・労働問題』(1919年,小説・戯曲集)という本が,そのとき発見され,これが契機となって,今日,労働者演劇の創始者・平沢計七の業績が再評価されるにいたっている。, また,この方面の全集としては,戦後はじめての,『日本プロレタリア文学大系』(三一書房)全9巻が編集されるにあたっては,研究所の蔵書が何冊も底本として使われたのである。, 前記目録を追って,さらに逐次刊行物等をも含めた,より広範な目録が,1980年に,法政大学大学院日本文学専攻西田研究室の手でつくられた。『法政大学所蔵プロレタリア文学関係文献目録』がそれである。これは,法政大学図書館蔵書をも含めた冊子目録であるが,その過半数以上が大原研究所蔵書であることは,一見して明らかであろう。, この10年の間に整理・公開された向坂文庫には,重複するものも多いが,これまで研究所が所蔵していなかった作品が散見される。一例を挙げれば,平林たい子の『悲しき愛情』(1935年)や黒島伝治の『橇』(1928年)等である。ただし,これらは日本文学(910)に一括して分類されている。, 伝記類は,分類289にまとめておいてあるが,哲学者,芸術家,文学者はそれぞれの主題のもとに配架され,3人以上の伝記も主題別にしてある。他に,マルクス,エンゲルス,レーニンは,社会科学のなかに項目をもうけて別置してある。労働運動史や社会運動史に分類されているものも多い。, また,分類049の随筆のところにも伝記に関連するものがいくつかはいっている。随筆は〈思い出〉が書かれることが多いから,自伝・他伝に関連するものが意外とある。一例をあげれば,『金正米吉遺稿・年譜』は049随筆にはいっている。また,堺利彦の『楽天囚人』(1911年)は,新聞紙条例違反・赤旗事件等で巣鴨・千葉監獄に入獄したおりのことを書いた文集だが,それなどは自伝を補完している。こうしたことがあるから,関連分野についても,充分な目くばりが必要となる。, 289に分類されている伝記は,和書2,800冊余,洋書約1,100冊である。洋書では,例えばP・A・クロポトキンの『ある革命家の思い出』は英・独・露語版がある。ちなみに,ローザ・ルクセンブルグのものは,和・洋とりまぜて30冊ばかりみうけられる。洋書のうち,575冊は向坂文庫にある。これはデータベース化されていないので,利用に際しては目録を参照していただきたい。すると,*印が目立つ(31冊ある)ことに気がつかれるであろう。*印は堺利彦旧蔵図書であることが確認された図書の意である。向坂文庫は和書にも伝記が860冊ほど含まれているが,こちらはデータベースでも検索できる。 Rouanet, G.  (4) 森戸辰男(所員)  原稿「ピーター・クロポトキンの死」がある。『経済学研究』に「クロポトキンの社会思想の研究」を発表して「森戸事件」を引き起こした本人のクロポトキン論の原稿である。 105 p. (In; Brochures socialistes.). Ensor, George: Of property, and of its equal distribution, as promoting virtue, population, abundance. Büler, Frau v. Paris, Dentu, 1874. Beauchery, A. Manchester, A. Heywood, n.d. vi, 112 p. _______ : Six lectures on charity, delivered at the institution of New Lanark, upon the thirteenth chapter of the first epistle to the Corinthians. 318p. Louis-Napoléon (catalogue-placard B-10) I. By a true Englishman. The life of Robert Owen Paris, V. Masson, 1858. xxi, 487 p. _______ : Oeuvres choisies de C.-H. de Saint-Simon, precédées d’un essai sur sa doctrine. So is et, sagt Irobecker. Breslau, J. F. Korn, 1788. Franklin, T. W. Letter to Lord Onslow. Philippoteaux Braunschweig, C. A. Schwetschke, 1853. xii, 355 S. (Hasbachs Bibliothek). 1854. xii, 631 p. Vol. ________ : The real character and tendency of the proposed reform. London Macmillan, 1877. xvi, 560 p. Morgan, William : A review of Dr. Price’s writings, on the subject of the finances of this kingdom: to which are added the three plans communicated by him to Mr. Pitt in the year 1786, for redeeming the national debt: and also an enquiry into the real state of the public income and expenditure, from the establishment of the consolidated fund to the year 1791. Opinion of Sir J. S. Sebright, in reply to a letter from a freeholder at Nutford, to Sir J. S. Sebright, on the subject of votes being given to, or withheld from, farmers being tenants at will, or under a lease, for a less term than 21 years. 2 vol.  ドイツ留学後、東京帝国大学法科大学教授に就任。1919(大正8)年大原社会問題研究所の創立に参加し、初代所長として研究所の基礎を築いた。戦後は、初代のNHK会長となる。, 左の手紙は年次の部分が欠けているが、1891(明治24)年8月6日付で、発信人は労働騎士団の指導者 John Hayes である。内容は、機関紙の講読料がすでに切れているが、国際的な意義を考え、購読者名簿からは除かないでいるので、購読を継続すると同時に友人にも紹介するようにとの趣旨。, 房太郎が編集部宛に送った写真と原稿受領の知らせ。下の手書きの文章は、この手紙に対する房太郎の返信の下書き。, 1918年11月9日「スパルタクス・グルッペ」の機関紙として発足。まもなくカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクの指導下に入り、同年末からスパルタクス団の機関紙。1920年9月以後ドイツ共産党機関紙。再三にわたって発行禁止処分、国内および外国でも非合法発行をしいられた。, フランツ・メーリング